キーワードは「「折形」のルネサンス期が訪れようとしている21世紀」。

 ラッピングは「包み」または「包むこと」を指すとして、それがどんなことなのかを考えてみましょう。ただし、ここでは贈答(ギフト)のラッピングにその範囲を限ってのことにします。

 ラッピングと包みとが、辞書のうえでは同義であっても、外国語と日本語の違い以上にイメージの違いをおぼえます。この差異が何であるかがここでのテーマになります。

 極端に単純化してしまえば、それは贈答にかかわる文化の差であり、そしてまた同時に、ものを包むのに用いる素材、特段の意識をしない場合には、同じにみなされている紙(日本の紙=和紙と洋紙の性状)に大きな違いがあった、ということになります。さらにまたここで、包みあるいはラッピングの素材を、紙と特定すべきかどうかを考える人があるとすれば、それはほとんど日本人だけでしょう。ギフトのラッピングにイネ藁(わら)やタケの皮などさまざまな自然素材や、時には風呂敷のような布を用いるのを想像することを、外国の人たちは普通には多分しないからです。

 欧米の包みの仕方はいわば合目的的で、包むべきものを覆い、かつまた衝撃から守ることを全うしようとすることに尽きるものです。工夫することがあるとして、それは紙を無駄なく用いること、したがって多くの場合、包まれるものになるべく密着させて仕上げる方法をとります。包みの仕上がり具合について特徴的な形を求める意識はほとんど見あたりませんが、それが伝統なのです。こうした場合は、この包紙を、ぱっとはがすその瞬間に贈物をうけた側の期待が込められています。ギフトの目的に応じて用紙は美しくプリントされたものや、特徴のあるコーティングの施されたものなどが選ばれ、リボン・紐などを華やかに結んでいるのが常識的です。

 では、日本の伝統的な包みの場合はどうでしょう。

 詳しく語るゆとりがないのですが、日本では贈答に関する限り、ものをすっかり覆い尽くすよりはむしろ、そのものを見ることができるように包みます。これはどういうことなのでしょうか。人に何かを贈る時、このものと一緒に私なら私の身についた汚れや、病など不浄なもの、あるいは精神における罪穢れを相手にあげてしまうことをおそれて、ものと私の直(じか)の手との間に仕切りを構成しようとするところからきていて、ものを塵埃など具体的に存在するものから遮断して守る意味合いは、むしろその次にくるのです。
おそらく、近代の精神にそのような要素をみることは稀でありましょうが、日本の伝統社会では疑うことなくそう観念していたのです。

 包みの手段(素材)としての紙がまた、この場合見事にその役割を果たしたことになります。七世紀頃に伝えられたとされている紙が、この地の祖先たちの技術的精進によって和紙として飛躍的な進化を遂げたことはよく知られた事実です。和紙の製法に特徴的な流し漉きは、紙の縦横を意識させます。漉目に沿って折りやすく、これに直交しては抵抗を感じます。紙を折ること、そのことへの興味を紙が誘います。紙でものを包むことがいつの時から始まったのか全く不明ですが、いったんそれが発達しますととどまるところがなかった事情はよくわかります。未経験の方は和紙で何かを包むことを実体験されるとそのことがすぐに分かると思います。たぶん室町時代と考えられていますが、その「包み」は型を生み、「折形(おりかた)」と称されることになります。数え上げることができないほどに多くの「折形」が残されました。今ちょうど、「折形」のルネサンス期が訪れようとしているかに見えます。大勢の人々の好奇心に呼びかけたいと考えている時であります。

(荒木真喜雄)


             

※参考文献『和紙の手帖』(全和連発行)p136-137 全国手すき和紙連合会発行

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