越中和紙(えっちゅうわし)
【所在地】 富山県富山市八尾町
富山県南砺市東中江
富山県下新川郡朝日町
    
【主製品】 楮染紙・楮紙・加工品・型染紙・書院紙・提灯紙・文化財補修紙・美術工芸紙・書画用紙
宝亀5年(774)の正倉院文書、『図書寮解(ずしょりょうげ)』「諸国未進紙並筆紙麻事」に越中国紙四百枚の記述があります。平安時代の『延喜式』にも中男作物として紙を租税に納めております。

八尾町・平村・朝日町には、江戸時代からの記録や文献も数多く残っています。 八尾町には4事業所、従業者40名、平村(五箇山)20名、朝日町2名で、このうち20代、30代の後継者が20人以上もいます。
 


五箇山和紙の里 紙漉き場
越中和紙は、全国的にも最も若い後継者のいる産地で、伝統的な楮紙や染紙等の古典和紙はもとより、新しい工芸和紙や和紙加工品、観光土産品等の商品開発にも積極的に取り組んでいます。

観光の施設も充実しており、八尾町の「桂樹舎和紙文庫」では、和紙の歴史資料や世界の紙製品、民芸品が展示されています。平村の「和紙の里」には、和紙工芸研究館を中心に、特産和紙の直売所、合掌造りの和紙体験工房が設置されています。両産地とも、年々生産・販売額は伸びています。

「越中和紙」の名称は、昭和59年に国の伝統的工芸品の指定を受けるため、八尾和紙、五箇山和紙、蛭谷紙(びるたんがみ)の三産地を総称したもので、それぞれの産地では、旧来の名を使っていますが、公的な文書や対外的な展示会などでは「越中和紙」に統一しています。
八尾和紙
この地方の和紙が、最も盛んになったのは、元禄年間(1688〜1704)富山二代藩主前田正甫公の売薬の奨励と共に、薬の袋や膏薬紙、これを束ねる細紙、薬の配置先を記録する懸場帳(かけばちょう)の需要がこの地に集中し、急速に発展したものであります。

慶応元年(1865)富山市内の紙商から出された「新出紙御値段仕法之控」によれば、鼠半切(ねずみはんきり)、黄、赤半切、青紙などの数種の染紙の名が記されており、草木染めや顔料染めの技術がかなり進んでいたものとうかがわれます。これら染色技法は現在も受け継がれ、全国一の生産をあげています。
 
  五箇山和紙
その昔、平家の落人が隠棲したと伝えられる五箇山には、ユネスコで世界の文化遺産に登録された合掌造りの集落や、国の重要文化財指定の合掌造りの民家があります。これらの合掌造りの大家屋では、昔から多くの人を雇って、工場的な形態で紙漉きが行なわれていました。

漉かれる紙は、加賀藩の料紙や神社・仏閣の諸用紙、障子紙が主で、越中、加賀、能登地方の需要をまかなっていました。

蛭谷紙
「元禄中農隙所作村々寄帳」(1688〜1704)に、蛭谷村「中折紙少々漉申候」と記されています。 この地の紙は半晒しの楮紙ですが、昭和28年の大火により、ほとんどの紙屋が消滅しました。現在は1軒のみで書画用紙を漉いています。
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