揉紙(もみがみ)は用途と技法の区別によって種類があり、例えば、人形の紙など紙細工に使う縮緬揉紙、また単に紙にしわをつけただけの揉紙もあります。ここで述べる揉紙は唐長(京都市)が代々つくってきた顔料揉みのことであり、以下この顔料揉みについて、先祖からの言い伝えをもとに揉紙の歴史、そして種類と各技法の説明を紙面が許される範囲で述べてみることにします。
●揉紙の歴史
揉紙の世界は特殊ゆえに定かな資料はありませんが、唐長の言い伝えの中では時代的には揉紙ができたのは室町時代からと聞いています。そして江戸時代には掛軸など表装用に多く使われ、後で述べる大倉揉み、灰原揉みなど揉み方がいろいろと工夫され、装節用を主に発展してきました。その後、明治時代に入ってからは需要が江戸時代と比較して激減したと聞いています。
その後、大正時代、昭和の初め頃になると、再び揉紙の需要が高まり、私の祖父、唐長九代目の頃は表装用としての揉紙を多くつくっており、当時は五〜六人の揉紙専門職の人に、各々個性的な揉紙をつくってもらっていました。その揉紙は唐長の店先に絶えずうず高く積まれていたといいます。
それが戦争を境に、職人さんがめっきり減ってしまい、表装の世界でも紙表具より裂表具が多くなり需要も減ったが、何よりもつくり手が減って将来的に期待できないものになりました。その中で祖父の代から仕事面でお付合いのあった、揉み唐紙製作の松田喜代次氏一人が揉紙専門職として続けてこられました。そして私の代を含め親子三代お付合いさせて頂いたことになります。残念ながら松田氏は先年亡くなられて、専門職は無くなってしまったのです。
ただし唐長では、戦後、揉紙職人が減った中で、やはり絶えず揉紙の注文が入り、父十代目を中心として木版唐紙製作の合い間に揉紙をつくってきました。そして現在は唐長で修業された本城紙芸の本城武男氏が中心となって揉紙の技法を継承しています。
● 揉紙の種類
- 小揉み…全体に均一に、できるだけ細かく揉み加工が施されたもの。
- 中揉みおよび荒揉み…これも均一に粗い目に揉み加工が施されたもの。小揉みに比べて肉厚です。
- 大倉揉み…一定方向に不規則に揉み加工されたもの。江戸時代に大倉という人が考案した手法と聞いています。
- 灰原揉み…二本ずつ指先でできるだけ細かく平行に折り目を入れて亀裂をつくる揉紙のこと。野に古い瓦を積んだ風景を灰原と呼ぶが、それに揉紙が似ていることからこの名が付いたと聞いています。
- 他に灰原と荒揉みをミックスした菊水揉み、カキ渋を塗った渋揉み、下地を具引きして上に金・銀箔を押して揉んだ箔揉紙があります。
●揉紙の技法
使用原紙は現在では六〇×九〇センチの薄手の楮紙を使用していますが、昔はほとんどその半折の四五×六〇センチ判で、今よりもっと繊細で手の込んだ揉紙をつくっていました。表具の際、大きいほうが都合がよく、それが優先されて今の大きさになったといいます。
- この楮紙にまず、礬水(どうさ)を施し、主として胡粉に黄土を混ぜた具に布海苔を入れて下地塗りをします。下地の厚み加減は小揉みは薄く、大倉揉みは中厚、灰原、荒揉みは厚塗りが基本です。
- 乾燥後に、具の中に膠(にかわ)、布海苔を混ぜて上掛け塗りをする。具に混ぜる顔料によって色が決まります。
- 完全に乾燥した後、小揉み、中、荒揉みは手加減で均一に指先を使って揉み落とします。大倉揉みは細い巻き芯に具引きされた紙を巻き込み、しごくように均一に揉み落とします。灰原揉みは手加減で一本ずつ紙を折り込んで、均一な細かい平行線をつくっていきます。
以上、技法を簡単に述べましたが、各工程とも手加減の難しさがあり、下地塗り加減、上掛けの具引きの糊加減、そして手揉みの加減など総合的な手加減が必要であり、相当、熟練を要する仕事です。特殊な仕事とは言え、歴史的に貴重なものであり、手づくりゆえ、量産は期待できませんが、色合いなど工夫して、より良質な揉紙を目指して次代へつながるようにと願っています。
(千田堅吉)
※参考文献『和紙の手帖』(全和連発行)p98-99 全国手すき和紙連合会発行
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