|
||||||||||
和紙工芸館内 |
漉き模様を体験 |
|||||||||
小原村周辺で紙漉きが始められたのは、明応5年(1496)に僧柏庭が、この地がコウゾの育成に適していることに着目し、栽培と紙漉きを奨励したことによると伝えられています。
江戸末期には、障子紙やお札紙、三河森下紙などを生産していました。 明治9年(1876)の戸籍簿によると27戸が紙漉きを業としていましたが、昭和に入りその数は減少してゆきました。小原では、小原製紙副業組合を組織し発展に努めていました。生産の中心は三河森下で、約 61%を占めていました。 その頃、東京では新進芸術家の活躍が目立っていましたが、そのうちの一人、工芸家藤井達吉が三河森下紙を大量に注文しました。昭和 7年のことです。この年の冬に藤井は小原を訪問し、紙漉きに工芸の大切さを説き、小原の紙漉きが工芸紙の道を歩み始めるきっかけとなりました。藤井の指導を受けた若者は、各種展覧会に出品するなどして芸術作品としての地位確立に努めました。現在では 20名を超える作家が活躍するまでに発展しています。 小原村では、小・中学校のカリキュラムに和紙工芸を取り入れており、小学1年から作品づくりを行ない、和紙展示館においてその作品展を開催しています。 一方、三河森下紙を代表とする小原の伝統和紙は、昭和55年にいったん途絶えましたが、昭和61年から和紙工芸館において障子紙を漉くようになり、現在は名刺や賞状用紙なども生産しています。 平成 8年からは、少しですが地元のコウゾを使用するようになり、産地として完全復活することを目指しています。 |
和紙の村というと、かたくなに伝統を守りつづけるという印象がありますが、現在の小原の紙漉きは、工芸が中心になっています。小原の工芸紙の根底には、自由な創造がありますので、伝統の大切さを十分認識しつつ、それにとらわれないおおらかさがあります。 豊かな自然に恵まれ、連綿と受け継がれる伝統和紙、自由でのびのびと育つ小原工芸紙。この二つがうまく協調しあい、共存共栄しています。 小原には、大別すると、A.伝統的な竹簀で漉くコウゾを原料とした紙、B.金網で漉く紙、C.芸術作品としての小原工芸紙の3種類があります。 Aは、三河森下の流れを受け継いだもので、比較的厚口の緻密で張りのある丈夫な紙です。特に地元の原料を使用したものは、独特の風合いがあります。 Bは、金網で漉いたあと紙床(しと)に移さずそのまま天日で乾燥しますので、「コシ」のない軟らかな紙となります。厚さも自由に調整でき、極厚口から極薄口まで漉くことができます。ちぎり絵や人形、造花などの工芸に適しています。 Cは、金網でベースになる紙を漉いた後、さまざまな道具を使用して絵画や模様などを漉き込むものです。作品は展覧会などに出品され、美術品として高い評価を受けています。家庭では襖や衝立(ついたて)、団扇などにして利用されています。また、近年は、建築空間の一部として照明やオブジェなどにも使われています。 |
|||||||||
漉き模様 |
和紙工芸館の庭に飢えられたミツマタ |