内山紙の由来については不明ですが、寛文元年(1661)信濃国高井郡内山村(現木島平村内山)の萩原喜右衛門が美濃から製法を習得して帰り自家で漉いたのが始まりで、内山紙の名称は内山部落の内山をとったものと伝えられています。
また、飯山市大字瑞穂小菅の内山地籍で当時隆盛を極めた小菅山修験場の神官・僧侶の需要にこたえるために、山岳民族(またぎ)が移動中に漉き法を習得したか、自然の知恵で会得したかは不明ですが、山野に自生するコウゾで紙を生産して供給して生活の一助とし、内山地籍の内山を取って内山紙と名づけたともいわれています。
いずれにしても確かな文献がありませんが、他から製法が伝わったことは事実です。
当時、自生しているコウゾを使用し、冬の農家の副業として広く奥信濃一帯で製造されていたと思われます。
明治42年には長野製紙同業組合が設立され1町12村が加わり、抄造者1,130戸、販売業者175戸、原料業者49戸の計1,354戸が加入しました。しかし生産者は次々と他業種へ転換していったため、昭和
24年には組合は解散し、残った業者によって、北信内山紙工業協同組合が設立され、伝統を維持しています。
|
内山紙の良さは、原料には雪晒ししたコウゾを用い、木材パルプを混入していないことです。コウゾ100%の手漉き和紙は、強靭で通気性・通光性・保温力に優れています。さらに、雪の上に晒すため、苛性ソーダや炭酸ソーダなどの薬品の使用量が少なく、自然な白さが得られ、丈夫で日焼けせずに長持ちします。
内山紙は、現在では障子紙の代名詞となっており、また変色しにくい性質と強靭さから、筆墨紙としても優れており、官公庁で使用される手漉きの台帳用紙の大部分はこの内山筆墨紙が占めるといわれています。 |