05.05.09up

「季刊・和紙だより 2005春号」発行
福井県和紙工業協同組合から、「季刊・和紙iだより 2005春」号がとどきました。
今号の「越前和紙への提言」はグラフィックデザイナーの前田一樹さん。和紙の伝統を大切にしながらも新しい和紙世界への挑戦を続ける前田さんからの提言です。『漉き場探訪』では岩野平三郎さんを訪ねます。
一部ご紹介します。

今号の内容

□越前和紙への提言
前田一樹(和紀)氏
(株)前田デザインアソシエーツ代表取締役社長を経て平成13年より国立高岡短期大学産業デザイン学科教授。パッケージ・グラフィックデザイン、国内外の伝統産業のプロデュースを手掛ける。近年因州和紙のプロデュースに関わっている。
□漉き場探訪
岩野平三郎さん
(株)岩野平三郎製紙所
□イベント情報
□越前和紙への提言 「一枚の和紙の価値を上げるには」
●和紙との出会い
もう三十年ほど前になるでしょうか。京都に和紙の魅力的なショールームがオープンしたと伺いました。そのご指導は、当時京都工芸繊維大学の教授で版画家の黒崎彰先生でした。越前今立の和紙の里と学生を結び、本物を学ばせ、実験的なデザインを考えてみるというような授業をされていた方です。京都の北山辺りにあったその「紙屋院」と呼ばれる店は、若いエネルギーの結実を教育から、実社会へ繋ぐ現在の産学協同とでも言える、素晴らしい試みでした。
当時私は、和に関するデザイン、プロデュースが多く、販売戦略・商品開発、店舗デザインなどが主でした。ある時クライアントの一社が東京の大丸デパートに出店することが決まり、壁面を和紙で空間演出しようと企画しました。そこから越前和紙との出会いが始まったのです。そのお店の空間は、岩野平三郎さんの漉き場をお借りして7尺×9尺の大きな和紙を漉き、照明との組合せで、柔らかな空間の演出をしました。当時は大きな和紙は余り馴染みがなく商空間に使われるのも珍しいことでした。和菓子の他に和の文化も合わせて売りたいと考え、和紙の包装紙や紙紐、水引もギフトラッピングとして提案し、その素材を売ったら面白いのではないか、進物用にオリジナルなデザインをしてみたら・・・とアイデアは広がったものです。
(中略)
●一枚の和紙の価値を上げるには
一枚の紙の価値を上げていくには、一度今までの技法をゼロに戻して、素材開発、道具開発に挑戦してみることが必要だと私は考えています。
素材開発の面では、紙を漉くというより、繊維や繊維の構造そのものを作っていくという発想です。ある時、紙は基本的に不透明で、薄くすることによって透けるけれど、透明の和紙を作れないかと考えたのです。透明の自然素材ってなんだろう、ふと思いついたのが昔トースターに使っていた透明の雲母でした。早速、鉱物としての雲母を輸入しておられる企業を訪れると、雲母は自動車のマイカ塗装や化粧品の口紅はファンデーションなどの光る素材に使われていることが分かり、それ以上にダイヤモンド以外の宝石は雲母の鉱脈から出来ることも知りました。ですから雲母は、とても厳しく監視されている素材でもあったのです。また江戸時代から「雲英―きら」といって雲母を使い、光る紙を創るために使っていたのは知っていましたが、驚いたのは加賀前田利家高の「兼六園にある茶室」に、私が創ろうとしていた透明の紙が、すでに明かりを茶室に取り込むために使われ、まさしく透明の紙を先達は完成させていたのを知りました。


立体的に漉かれた
ランプシェード
道具の開発は、例えば「紙は平らである必要があるのか?」、「紙は水と切り離せないのなら、水の属性を存分に活かすとどういう現象が考えられるのか?」、「水にまつわる道具が作る表情を定着できないものか?」など、いろいろな方法論が浮かんできました。そしてプロセスである原料作りの段階から記号論的に捉えたときの、漉くという行為とは何か、その行為に、動詞を加えることから何が生まれるのか?これらのシンタックス的思考段階からセマンティクス、プラグマティクスへの思考の繰り返しが新たな和紙の価値を生み出していったと考えます。(後略)

□漉き場探訪 岩野平三郎さん―(株)岩野平三郎製紙所

手漉工場としては従業員46人の日本一の規模。国内外の芸術家に広く使われている日本画用紙を製造。福井県指定無形文化財技術保持者。若手職人、作家育成にも尽力している。漉き場は岡本川の上流に沿った、大滝の町半ばに昔ながらの風情を残してあり、中には大小様々な漉き舟が並んでいる。
●名だたる画家が愛した和紙
現在の岩野平三郎さんは三代目。先々代は「近代日本画を変えた和紙職人」として和紙の歴史に名を残す。明治時代には絵絹に描かれていた日本画は、大正・昭和期、先々代の漉く紙とその評判によって、和紙に描かれることが主流となる。厚みのある柔らかな紙は絵の具の厚塗りを可能にし、特別に漉かれる大きな紙は大作を可能にした。又、その丈夫さは年月を経ても絵の風格を失わせない画家達の愛する紙だった。いわば平三郎の紙は、当時の日本画の巨匠達の表現の幅を広げた和紙だったのである。ここの紙を愛した画家は、横山大観、竹内栖鳳、川合玉堂、富田渓仙、小杉放庵、下村観山、近年では東山魁夷、平山郁夫、千住博などそうそうたる顔ぶれである。(中略)


作業場の様子
(乾燥、検品)
●特注の大きな和紙
日本画の絵描きさんは、襖絵や屏風といった大作を手掛けますので、特注で大きな紙が漉けるのも、ここの特徴でしょう。平山郁夫画伯が、薬師寺の襖絵を描くときも、寸法が縦9尺(約2.7m)横12尺5寸(3.8m)の特大紙を所望されました。紙は雲肌麻紙で、そちらの方は問題なかったのですが、何しろ大きな紙なので、7尺9尺をつないでは・・・と勧めましたが、継ぎ目が気になって描きづらいとおっしゃるので、さて、そんな大きな紙を漉くのは初めてで、どうしたものかと思いました。結局、その紙のために工場を新設することになってしまいましたが、問題は最終工程で紙の乾燥に使う張り板(干し板)でした。普通は表面に木目がなく、つるつるの表面のイチョウの木を使いますが、そんな大きな板は見つからないものです。しかし、幸いにも福井の材木問屋さんから、たまたま大きなイチョウの板が出たと連絡を受け、やっとできると確信したのです。出来上がった絵は、大きな紙の上に顔料の重さが加わりますから、紙5kgだった重さが何と40kgになったそうです。(後略)
編集:(有)市民空間きょうと
〒604-8136 京都市中京区三条通東洞院西入る梅忠町28
TEL/FAX 075-213-4495
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