■越前和紙への提言 永田哲也さん(現代美術作家) |
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現代美術作家。1985年、東京芸術大学大学院美術研究科構成デザイン修了。道路の轍や実物のブルドーザーなどをかたどり、ものや空間を「記憶」させるアートを発表。近年、「皮膚感覚に近い」和紙という素材にこだわり、新境地を開いている。2005年10月パリで開催されたファッション雑貨の見本市・プルミエールクラスでは招待作家として「KIOKUBAMI-和菓紙三昧」の展示を行い、好評を博した。 |
千葉県佐倉市のアトリエでお話しを伺う。
●皮膚感覚が好き
もともと大学では構成デザインを専攻したのですが、工業デザインでもなく広告デザインでもない、両方の領域でやらないことをやってみたいという思いがありました。芸術やデザインに関わる構成要素の研究、たとえば「型」「形」「時間」や「空間」の表現に興味がありました。たとえば、ふくらむ粘土というのを探してきて平らにし、表面に「好き」、裏面に「嫌い」と描いてオーブントースターで焼いて待つ。二次元だった粘土が膨らんで三次元になり、次元と時間の変化、膨らんでいくときの心理的な変化、粘土のパンの両側に膨らんだ空間は何だろう?というようなことを考えさせるコンセプチュアルアートのようなことを発表していたのです。 |
実物のブルドーザーを
和紙で写し取った作品 |
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内と外を分け、また繋がりを持つ皮膚。そんな皮膚感覚というものに大変興味があり、最終的に辿り着いたのが和紙だったのです。和紙は、皮膚の湿った感じ、乾燥して粉を吹いた感じは生や死を連想させますし、生きている証の半透明さやしわなども表現できますし、求めていたものに向いていたという事が言えるでしょう。ですから最初から和紙ありきで入ったわけではないのです。
●和紙との出会い
現代は視覚優位の時代ですが、考えてみたら母方の田舎では柿渋を染み込ませた油紙などを作っていて、昔から日本では生活の中にに豊かな皮膚感覚のようなものがあったのではないかと思うようになりました。たまたま妻の実家の山形に行くとき途中のルートに張り子の紙の産地があったのです。福島県の安達町というその地域は、張り子の本体に古紙を使った再生紙を使っていたのですが、空間を写し取ろうという私の作品に利用できると考えました。本体に張り子紙、上紙には那須楮を使った西の内和紙を使おうと考えたのです。実物のブルドーザーや椅子を七層くらいの和紙で写し取って形とその時の時間の「記憶」を留め、百枚くらい貼り合せて乾いたらそれを切って再び接ぎ合わせる「時間」を表現しました。
西の内和紙は、茨城県と国の無形文化財になっていて、那須楮を原料としています。繊維が細くて短く、虫が付かず、絹の輝きと昔から言われてきたそうです。現在ではアート系の和紙としても需要があるようです。これも和紙を探しあぐねた結果ではなくて、たまたま出会った素材ですが・・・。 |
団扇にも利用された
立体的な和紙の鯛 |
●和菓子の木型と「和菓紙三昧」
ある時、ネタを探しに骨董市に行ったとき、鯛の和菓子の型に目がとまりました。木型を見るとそれを掘った職人のノミ跡なんかがあり、時代の息遣いが聞こえてくるようです。これらの菓子型は花、貝、果物、魚、動物があり、伝統的でありながら、奔放な庶民の粋な暮らしがかいま見えます。懐かしい私達の記憶も含まれていますし、これを和紙で写し取って立体的な団扇や、カード、ポチ袋、菓子小箱などにしてみました。和菓子の老舗「とらや」さんの学術的な機関「とらや文庫」のご協力もいただき、五百くらいの型を写させて頂きました。和紙と和菓子と団扇、又、和菓子屋さんと木型屋さんと団扇屋さんと和紙職人などの違ったものを結びつけてみるとどうなるか、というのが私の発想です。東京、関西、パリと展覧会を開きましたが、意外なものを結びつけて楽しいと評価を頂いています。 |
●伝統の縛り
日本で宇出回っている製品というのはシンプルモダンなものが多くきちんとしているのですが、それだけでは面白みがない。和紙も同じで、和紙というと伝統的、歴史があるというようなイメージでしかものが作られないという事があるかもしれません。私が作った和紙と他のもののミスマッチはある種、こういった現象のアンチテーゼであり、野放図、磊落(らいらく)な面があると思います。
職人さん、ギャラリストなど、やはり餅は餅屋でそれぞれのプロフェッショナリティを活かせる、ちゃんとしたプロデューサーが必要です。職人さんを巻き込みながら「やりたい、好きだ」というアートの心を持って、各々の力を引き出せる人がいるといいですね。但し中途半端ではいけません。
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