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版画家
木藤祐美さんの巻
プロフィール
1978年徳島県三加茂町生まれ。
大阪芸術大学で銅版画を学び、卒業後、大阪を中心に個展、グループ展を行なう
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今回は、徳島県出身の版画家、木藤祐美さんをご紹介します。
Q1 銅版画をされるようになったきっかけは?
教師になることを目指し、大阪芸術大学短期大学部に入学(その後大学に編入し卒業)。大学時代に様々な美術に触れ、先生や周りの人たちからの影響もあり、本格的に銅版画の世界に興味を持ち始めたのはこの頃から。自己表現する方法として自然と銅版画を選択していました。今は、教師という立場から、生徒とのコミュニケーションを得たり、学ぶことが多々あります。
Q2 作品制作は自己表現の一つだと思いますが、どんな想いで制作されていますか?
まず、「自分自身の存在証明」だと考えています。作品は自分の分身のようなものだと思っているので、現在の自分、変化している自分を作品と共に見て欲しいという気持ちがあります。また、作品を制作し、発表する事で色々な方との出逢いがあると感じています。作品作りの過程で出逢う方(紙屋さん、ギャラリーの方、作品を評価してくれる人など)、出来上がった作品を通して出逢う方など本当に様々です。それが楽しみの一つでもあり、今後の作品作りにも影響されてきますね。
Q3 版画の魅力についてお聞かせ下さい
「刷ってみるまでどんな仕上りになるのかが分からない」危うい感じが面白いです。予想もしない仕上りだったり、偶然出来てしまったものが作品の「味」になったり。微妙なさじ加減で一枚ずつ違う仕上りになるのも面白いですね。
Q4 制作上のテーマは?
風景、思い出のモノ、日常生活のワンシーンなど身近なモチーフを、幼少の頃の素直な気持ちや心地よかった経験を絡み合わせています。
作品を通し、大人になって忘れかけていた感覚を共有できたらいいな、と思っています。暖かくて心地よいイメージを表現するには和紙が適当な素材です。 |
Q5 紙について思うことをお聞かせ下さい。
すぐに自己表現できる身近な素材だと思います。一枚ずつ手作業で作られた和紙からは、職人さんの気持ちが伝わってきます。そして、その上に自分の気持ちを重ねて出来上がる作品は、緊張感さえ感じるモノに変化していきます。
Q6 今後の展開、抱負などをお聞かせ下さい。
故郷の徳島、その他様々な地域でも展覧会を開催し、作品を通して色々な人と出逢い学んでいきたいと思っています。 |
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第二回 |
忌部族が伝来した紙漉きの歴史を探る第二弾!
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「忌部族」は、大和朝廷創建の折の祭祀に関わる、いわば聖職者集団のいち氏族とされており、勢力拡大のために6世紀頃、粟の国(後の阿波)に来て、朝廷の命令で楮、麻を植えたとあります。よく言えば、開拓者ですね。山川町史を読むと、「地方の忌部は、通常は農民であるが、忌部首(おびと)がつかさどる朝廷の祭祀のために木綿(ゆう)・麻織物を、また造殿のための木材などを貢納していた。」とあります。ということは、確かに紙の原料である麻や楮を植栽していたが、紙を作る役割の仕事でなく、木綿や麻織物を作るのが第一義の仕事であった。この木綿というのは、楮の繊維を裂いて糸状にしたもので、幣(ぬさ)として、祭りの時に榊(さかき)につけた。幣というのは木綿や麻、後世では紙で作って紙神に祈る時に供え、又は祓えに捧げ持つもので、これに麻や楮が使われた。そのための用具を作ったのが忌部族とされています。この時点で、忌部族が「紙」を作ったという記録はまだ出てきません・・・。(次号へつづく) |
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アワガミワールドトピックス |
1月23日から約2週間、ヨーロッパへ行って参りました。恒例のペーパーワールド(世界最大規模の紙の見本市)の出展、顧客訪問と忙しい旅でしたが、世界各国の人達から意見を頂き、刺激ある毎日でした。見本市では特に色鮮やかな染紙に興味を持って頂き、やはりホビーの市場は大きくなっているのかなという印象を受けました。一方で歴史の古いヨーロッパではまだまだアートの市場は根強く残っており、画材店でのアート用商品の品揃えは目を見はるものでした。和紙の歴史を欧州で伝え「世界のアワガミ」になれるよう頑張りたいと思います! |
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(担当:藤森 彩) |
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