■越前和紙への提言 佐藤眞富さん(プロダクトデザイナー) |
|
(株)木舎(ぼくしゃ)代表 プロダクトデザイナー。1987年、東京都あきる野市に木舎設立。主に照明器具のデザインを手掛け、個展、グループ展なども多数。2001年から美濃手漉き和紙を次世代に伝え、現代生活に取り入れるためのプロジェクト「カミノシゴト」のプロデュースを開始。産地の職人と東京市場との橋渡しをすべく、Ozone、Axis等で提案展を精力的に開催。2004年、美濃市相生町にアンテナショップ「カミノシゴト」オープン、今年若手職人に運営を引き継ぐ予定。 |
|
「暮らしを創造するるコト、モノを考える」
●産地の問題点
七年ほど前、岐阜県紙業連合会が海外市場を狙い、フランクフルトメッセに美濃和紙のあかりを展示しようと企画したと時、デザイン依頼が来たのです。デザイン料が安い代わりに、産地の中を自由に歩いても構わないと言われ、興味が湧きました。しかし、当時は正直言ってその仕事で使いたい紙がなかったのです。では、作ればいいのでは、と考えましたが、職人さん達もなかなか相手にしてくれない。仕方がないので、惚れ込んだ本美濃紙、薄美濃紙と他の紙を利用して「濃シリーズ」という商品ブランドを立ちあげました。これが美濃との出会いとなりましたが、仕事をしていく過程で産地の問題点も見せつけられてしまったのです。美濃和紙は昔から障子紙として有名ですが、それはこの土地の光や水など、美濃の風土があってこそ、その和紙が育まれたと思うのです。現在エコだとか地球に優しいとか、さも新しげにプロダクトの世界でも言われていますが、その割には先人達が育てた「日本の紙」は全うに使われてもいないし、その効能さえも適切に知らせる努力をしていなかったのです。 |
●売れないと言うけれど
まず、産地や職人さんは「売れない!」と平気な顔で言うけど、ある意味それはユーザーを無視しています。売れないことを、ユーザーや時代のせいにし、住空間の様式変化のせいにしている。それは単に、売れないのではなく、使ってもらえない、使えないというのが真実なのです。どうして使ってもらえないのか検証しないといけないのに、指をくわえてこの何十年間来たわけでしょう。美濃の手漉き和紙を残さないといけないと言うのなら、産地が今の若い職人達を食わせるストーリーを作らなければいけない。ところがここが勘違いで、ものを作れば、単に開発すれば食えると思うんですよ。紙を作れば売れると思うんです。今のユーザー、特に女性は和紙という素材には空間も含めて大きな興味を持っていて、情報誌も特集を組んでいます。だけど東京にはまともな和紙の店もほとんどないし、ましてひとは産地に来たこともない。だから美濃和紙なんて若い子は知らない。越前だって同じだと思うのです。知らなかったら選ばれようがない。ですから美濃和紙というブランドをあらゆる広報手段で伝え、広める仕事を最低五年間仕掛けるから、行政に掛け合ってほしいと紙業連合会のトップにお願いしたのです。
(中略) |
2002年 |
2004年 |
2005年 |
東京Ozoneでの
「カミノシゴト」展 |
|
|
|
|
|
●行政ができるのは発信事業
地方のいいところは、まだ昔のような太っ腹の経営者がいることです。若手職人をまとめながら、様々な発信事業を行うのに行政を説き伏せる強烈なリーダーがいたのです。東京のオゾンでは計五回の「カミノシゴト」展、アクシスでは「御紙漉屋の障子展」など三回の発信を手掛け、会場に来てくれた出版者との繋がりを通じて「カミノシゴト」という本の出版や、グラフィックデザイナーとは、「折型半紙1/2」という商品成果にも繋がりました。作り手側のこだわりをしっかり伝え、紙だけでなく道具に変化する魅力などもJ’ホームスタイルで発信しました。ひとつひとつを確実に展開して、美濃手漉き和紙は少なくともクリエーターの中には浸透し、知ってもらえたと思っています。職人達を東京の展示会にバスをチャーターして連れて行きました。会場で直接お客の反応を見て「これは問屋から聞いている話とはだいぶ違うなあ」という感覚も肌で分かってきました。そんなことでも五年かかるのです。要は五年間、産地の想いをつらぬくリーダーがいるかいないかは大きいですね。 |
●伝統産業もブランド合戦に
五年間「カミノシゴト」に関わって分かったのは、広報は種まき作業だということ。いまそれを確実に刈り取るには、産地ブランドを戦略化できる企業を導入すべきです。というのは、地方自治体再編成の流れの中で、観光地や伝統産業をかかえる行政は今後ブランド合戦になっていくと思うのです。伝統・風土・歴史など地方もブランドを戦略化し方程式化しなければ生き残っていけません。自治体も含めて産地も企業的な経営センスで、伝統産業をプロデュースしていかなければせっかくの価値ある日本の仕事が死んでしまうのです。産地の一人一人の能力を考慮し、創造的な役割を与えていく集団的知恵が必要です。そして何より私達の暮らしに必要な、物産ではない商品を提供することです。大切なことは、地域や産地や市場のしがらみを優先するのではなく、「伝統とは革新の継続」という概念に果敢に挑戦、実験するという姿勢ではないでしょうか。 |