07.01.17up

高志(こし)の生紙便第12号が届きました。一部をご紹介します。
 
師走
亡き父が、息子に「お前は、道楽もんだから気をつけろ」という意味のことを言っていた。「増太郎じいさんにそっくりだから」とも付け加えた。増太郎は父の祖父、そのじいさんは、「見てくれ」などという占い師をしたり、他人のことばかり気を使うためどうも家族がその分難儀をしてきたらしい。俗に言う外面がよかったようだ。そのじいさんが作った坪床は、自分が子供だった頃の遊び場だった。小高いところに稲荷様が祭られていて、その石でできた屋根に足を掛けてその後ろの四季桜の木によく登り、小便を引っ掛けたこともあった。それでも罰があたらなかったのもそのじいさんのお陰かも知れない。
何年もかけて初めて咲いたという、手塩に掛けた牡丹の花を採って、じいさんにプレゼントした時も笑顔で頭を撫ぜてくれたのだと聞かされている。

久し振りに雪化粧された
仙三君家の田んぼ
(12月18日・朝)
家の隣にある土蔵の大黒柱に桐箱が打ち付けてあって、その蓋を開いてみると、じいさん、ばあさんが縁側に座った記念写真が入っており、昭和五年と書かれてある。その後そのじいさんの子どもであり、大工であった太吉じいさんに聞いてみると、その頃大工が一日、一円の時ちょうど千円かけた土蔵だという。この門出で初めてコンクリートを土壁の表裏に使い、基礎のコンクリートも川から石を背負って集めたという。瓦は安田駅(二十五キロメートル先)まで砂砂利を大八車を借りて引っ張ってきたらしい。しかし、その頃の家族の望みは、土蔵ではなく少しでも日当たりのよい田んぼを増やしてくれればと願っていたそうで、蔵など無用の物らしかった。少しでも米を増やしたり、負担の少ない田んぼをみんなが望んでいたのだ。その土蔵は四十二年前の新潟地震でかなり壁が落ち、その後十二年前の新潟南部地震で屋根瓦を含めて端がそっくり落ちた。壊そうか迷ったが、自分とよく似ているという、じいさんの想いをつなぐべき、トタンぶきにそっくり直した。お陰で二年前の地震の被害は少なかった。
父が言うことに、自分のことはともかく、他人様つまり世の中さえ変えようなどと考える。そしてそのために多くの人を引きずり込んでいくことこそ、道楽の極みだと僕に諭したかったのだ。その父は、ほんのささやかな道楽もせず、家族に尽くしてくれた一生であったと息子から見てもそう想う。そのお陰で今の自分がいる。
僕は、門出の地に生まれ育ち、多くの先輩たちが我が身より公が一番、だから、あの人は偉い人というとき、その実績より公の勤めを果たす心構えを持っている人を指す所が大であり、逆に言うと、公より我が身を優先することは、卑しいとさえ感じられる風土があるのだ。
だから役所からの紙の注文は、少し勉強する。談合などけしからん話だ。
最近、女房から叱られる度に父の言葉を思い出す。「だいたい、お父さんは、議員をやっていた頃より紙漉いていないし、ほとんど家にいないでしょう。関係ないことばかりやっていてそれでも紙屋?」などと言われるといささかギクリとする。たたみ掛けるように「もう少しすると、我が家は、三人の学生がアパート暮らしになるのだから少しは考えてよね」などと言われれば、父として「ゴモットモ」というしかない。
女は子どもを生んだときから、しっかり親になる。その時男も親になれればよいのだが、死ぬまで子供が大きくなったままで、女からすれば「何とバカなことばかりやっているのだろう。」と思うだろう。女にとって、とにかく家族のために、魚を捕ってくる男がいい男なのだ。

雪の工房前にて
柳橋眞先生と
師走の初め頃、恩師、柳橋眞先生ご夫妻が久し振りに、杖を突きながらおいでになった。初雪のかやぶきの宿で二人で対談をして・・・・・・。
アメリカの高橋美奈さん(十八年前我が工房で研修)がハンドメキングペーパーという本の編集で、二人の対談を半年前に依頼して帰国したのだった。
先生は一貫して本物に対して妥協しない人で、その化石のような意思のお陰で僕は勇気付けられて、脇道に迷わず続けて来られた。こんな時代だからこそ、本物(自然、必然)を貫くことが如何に大切か、概念だけで人は生きられない。感性の中に文化は潜んでいる。その意味を伝えていきたい。それは、まだまだ人そのものに文化が宿っている強度、高柳の今後の進むべき役割だと思っている。しかし、現実的には、新しい市に少しでも慣れることに追われている気配がする。慣れながらも、自らを客観的に見ることが新しい柏崎のためにもなることを忘れてはならない。
我等が「地域協議会」もようやくメンバーによる「協議会便り」を発行にこぎつけたばかりである。あれもやります、これも・・・という立場ではないけれど、先ずは地域の中に入って、想いを共有する所から始めなければならない。平成の大合併によって、大いなる実験が出発したのだから、どうしても試行錯誤を繰り返すことだろう。どこに行っても、どうしも一言二言しゃべってしまうので、そのしゃべり賃を払うのに追われてしまう。しゃべり借金を貯めることをこの地では一人前とみなさない習慣がある。結果として女房やスタッフに迷惑を掛け通しである。
勘当される前に、今冬は一枚でも余計紙を漉きたいと願ってはいるのだが・・・。
師走十日
小林康生
「高志の生紙工房」からのお知らせ
【見学、製品ご希望のお客様】
○見学(説明)は無料です。(団体でお越しの場合は事前にご連絡下さい。)
○説明の所要時間は30分程(門出和紙のできるまでのビデオ15分含む)
○最初に工房スタッフに申し出てください。係りの者がご案内申し上げますが、作業の都合等により即対応できず、しばらくお待ちいただくこともありますのでご了承下さい。
○当工房は生産施設でもありますので、道具や原料、製品等には触れないでください。
また、作業中のスタッフに話しかけることもご遠慮願います。

【体験プログラムのご案内】
○体験は前日までに申し込んでください。(団体の場合は早めにご予約下さい。)
プログラム 詳  細 所要時間 料  金
紙漉き
(10枚以上から受付)
半紙判(39cm×27cm)便箋2枚
取判(伝統製法による素材としての紙作り)
約40分 基本料金3,000円+300円(1枚)
他 送料実費
紙流し
(5枚以上から受付)
半紙判の網枠に和紙原料を流し込む(草花を入れるなど作品としての紙作り) 約30分 1枠(1枚)500円〜
他 送料実費
折染め
(10枚から受付)
お買い上げ頂いた和紙を折りこんで染液の中に浸し染にします。(染めた紙は当日お持ち帰りができます。) 約40分 紙代 菊判(92×62cm)500円〜
基本指導料(染料代含む)御1人様300円

※紙漉き、紙流しの紙は、乾燥して後日発送となります。送料実費を含め請求書を同封しますので、郵便振替払込用紙にてお支払お願い致します。


○○○ 生紙工房の開館時間と休日
午前9時〜午後5時まで
(正午〜午後1時まで休憩)
休館日は第3日曜日と祝日


「生紙工房」と「生紙便」に関するお問合せは下記まで
越後門出和紙 小林康生
〒945-1513
新潟県柏崎市高柳町門出
Tel 0257-41-2361
Fax 0257-41-3024
メール info@kadoidewashi.com
URL http://www.kadoidewashi.com
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