07.05.10up

「季刊・和紙だより 2007春号」発行
福井県和紙工業協同組合から、「季刊・和紙iだより 2007春」号がとどきました。一部をご紹介します。


今号の内容

■越前和紙への提言
濱中淑光さん(経師職人)
「もっと職人になって欲しい」
■流通レポート
(株)森木ペーパー
「期待を裏切らない紙を提供」
■取組紹介
こしの都千五百年プロジェクト
「継体大王即位千五百年をバネに」
■越前和紙への提言 濱中淑光さん(経師職人)
東京世田谷区で経師店「濱中秀光堂」を営む経師職人。伝統的な和紙を使用した襖張り・壁張りを継承しながらも、職人の視点から和紙インテリアの新たな可能性に挑戦している。地元建築家と、住宅全てに和紙壁を張ったプロジェクトや住宅の洋風化で最近一般の人が目にすることがなくなった経師の技の世界を紹介するワークショップ開催などにも協力している。
「もっと職人になって欲しい」
●住宅に和紙が使われなくなった経緯
一般的には戦後の住宅の洋風化と共に、住宅に和紙が使われなくなったと言われていますが、施工現場から具体的に眺めると、ビニールクロスができて下張りをしなくなったのが原因でしょう。昔は安いアパートの壁でも、はがれてくると、安い価格でしたが、袋張りをやっていたのです。それが少し経つと「ヘッシャンクロス」といって、ジュート糸をたて、よこ糸に使用した壁張り用平織物が使われるようになりました。このクロスは、壁面がベニヤ板でも表面のでこぼこを拾わず、袋をかける(袋張りで下張りする)必要がないのです。次にビニールクロスが出てきた時に、楮紙や桑チリ(下貼り用の和紙の一種。桑の皮などを漉き込んだもので茶チリ紙より丈夫。)で袋をかけると、紙の重なる部分のでこぼこをビニールクロスが拾ってしまうので、下張りをやらなくなったのです。また、壁面にはスイッチやコンセントもあり、始末もめんどうくさいし、手間がかかるので、職人も袋張りを敬遠するようになり、技術が継承されなくなりました。住宅の供給が、建売り住宅やハウスメーカーの商品を買うという感覚になってくると、納期も早いので時間をかけていられない。住宅の価値も、建った時が百点で、次第に価値が下がっていくという具合になってしまいました。昔は、住んでいる人が職人と一緒に家を造っていくという感覚があって、塗り壁を中塗りした後は、家人は引っ越して、暫くして上塗りをかけるというのうなこともやっていたのです。
●もっと職人になって欲しい
この世界で、今70〜80代の親方の世代は「和紙」と言えば全て手漉きの事を言います。明治の初めに洋紙が入ってきた時、日本で作っていた紙を和紙と命名したそうで、その時は当然手漉きしかありませんから、和紙=手漉きとなるわけです。私は個人的には、日本の文化に携わっている紙は和紙と言っていいのではないかと思っていて、機械漉きも使います。以前、産地の人と和紙の議論をしている時に、和紙=いいもの=高い=使えない、と敢えて憎まれ口を叩いたのです。そしたらすごい反発があって、高くない、自分たちは大変な思いをして紙を作っていると言うのです。それは勿論知っていますが、ごく一般的な方々にとっては和紙とはそういう物ですと言ったのです。私は紙漉きの人たちはもっと職人になって欲しいと思います。私からすると、壁装材に使って初めてお金がもらえる。手漉きでもコストに見合ういろいろな物が欲しい。この予算で漉いてもらう方法がありますか?と聞いたとき、この程度の品質でこんな配合ならできますと自信を持って応えてくれる職人がいてほしい。最近は、アーティストのように芸術的な紙を漉く所もありますが、住宅需要の面では定番的に使う事ができる基本の紙を持っていてほしいし、エンドユーザーや職人の様々な要求の相談にのって欲しい訳です。こちらももっと使いたいのですから、値段に応じていろんな和紙がほしいのです。
●和紙のデメリットがメリットになる時
和紙を壁装材に使用する場合、汚れや毛羽立ちなどデメリットは沢山ありますが、それが同時に調湿効果や暖かみ、風合いといったメリットでもあるわけです。ある建築家との出会いで発見したことですが、お施主さんに一枚でも和紙を張って頂くと、その調湿効果や暖かみを実感して頂けるようです。こんなワークショップみんたいなもので、和紙への理解を深め、ファンを作れば、益々和紙のデメリットがメリットになるように思います。




サンプル用の襖を見せ
提案することもある

「和紙の壁展」開催時に
市松に張った漉き返し紙 ↓




屏風作りのワークショップの模様 ↑
何年か前から本鳥の子が厚くなりました。その理由を産地の方に問い合せたところ、明らかな施工クレームなのにメーカーから漉き元の方に改良(悪)の要請があったようです。こういうケースを防ぐためにも生産地と施工業者と販売元などで率直に話し合う場があったらいいなあと思います。
和紙はやはり一度張ってみると、その良さが実感できます。和紙を住まいに取り入れるには、建築家や和紙の研究会に入っている人、私のような職人など、和紙の好きな人に相談するのが、結局一番確実な方法だと思っています。中には和紙好きが高じて、ある産地に通って、趣味で漉いた紙を自分の住宅に張って欲しいという人などもいらっしゃいます。
■取り組み紹介
■こしの都千五百年プロジェクト「継体大王即位千五百年をバネに」
2007年は、第26代天皇といわれる継体大王即位千五百年を迎え、福井県を中心に大王ゆかりの地では、この機を新たなものづくりの展望と飛躍のきっかけにしたいと「こしの都千五百年プロジェクト」が立ち上がった。越前和紙の産地からも紙の未来を展望する様々な企画が進行中だ。
「日本書紀」によれば、継体天皇は応神天皇五世の孫であり、父は彦主人王。近江国高嶋郷三尾野(現在の滋賀県高島市あたり)で誕生したが幼い時に父を亡くし、母の故郷である越前国高向(たかむく)(現在の福井県坂井市丸岡町高椋)で成長した。千代の武烈天皇に跡嗣がなかったため、58歳にして河内匡樟葉宮で即位したとされるが、この即位事情を巡っては様々な議論がある。現在では、継体が必ずしも天皇家の血筋でなく、越の国の一有力豪族だったという説があり、技術力・経済力・人材豊富な地域力を後ろ盾に、当時の中央豪族(大和朝廷)の支持を得て平和裏に即位(507〜531年)したとする説が有力である。ともあれ継体は実在の人物で、天皇家の系譜は、彼以降はほぼ正確であるとされている。
プロジェクト実行委員の一人、石川製紙(株)の石川満夫さんにお話を伺う。

古代和紙の復元に
燃える石川満夫さん
●産地における継体大王の意義
日本書紀には、継体が男大迹王として、この越前市辺りで育ったという伝えがあり、この土地かどうかの諸説もあるが、坂井市(旧丸岡町、旧松岡町)には大きな氏族の古墳があり、王冠や大刀、焼きものが出土しています。
朝鮮からの渡来人がもたらした技術と、継体の時代の越の国のものづくりの様相が其処ここに見えてくるのです。
越前和紙の里には「川上御前」の伝承があります。「岡太川の上流に一人の美しい女性が現れ、里人にねんごろに紙漉きの技を授け、名も告げず忽然と立ち去った」というものです。「川上御前」は古代の自然信仰−ことに水の神様・水分神への崇敬から生まれたものですが、同時に渡来の才伎(技術者)達が紙漉きの技をもたらしてくれた事への敬慕の思いが重ね合わされていると解されます。また、和紙の里に隣接する服部谷朽飯には織物の神様を祀る八幡神社がありますが、ここは渡来の機織りの集団が住みついた地といわれています。
さらに日野山、燧はな、平吹等の地名が残っていますが、火とはまさに鉄のことで、「平吹き」とは鉄を吹くということです。出土している環頭大刀や冠は、朝鮮半島のものと類似しており、当時から交流があtったことは明白です。この辺りには丹生郡という地域があり、奈良時代、丹生とは、すばらしい土地=水銀が出るところ、という意味でした。すなわち、金メッキには水銀がなくてはならないわけで、大王の王冠の金メッキと、鯖江のメガネのメッキ技術は繋がっています。越前市では白鳳時代の須恵器の登り窯が発掘されていて、古代の大寺院の棟の両端に取り付けた装飾で、今のしゃちほこのような鴟尾という焼きものが出ています。現在の越前焼のルーツでしょう。鴟尾があったということは、寺院が多くあったということです。単なる継体大王の伝説と浪漫を語るのではなく、継体を押し上げた力の源泉を探ろうというのが「こしの都千五百年プロジェクト」の意義なのです。


昨年11月には
プレイベントも開催された
●和紙産地の挑戦
丹南の地は、このように千五百年前から継体大王と渡来文化の結びつきから始まったハイテク技術の集積地で、ものづくりの文化があったから、現在でもこの地域に刃物、塗り、焼きもの、織物、和紙などの産業が息づいていると考えられます。そこで現在の技術が伝統の中でどう生きてきたか、技術的に乗り越えたもの、乗り越えられないものを科学的に検証し、将来の「もの・ものづくり・ものづかい」を展望しようと思っているわけです。
具体的には、原点を体験するという意味合いで、古代のものを復元してみようと考えています。焼きものの分野では、土師器に加えて渡来人がもたらした須恵器(高温で焼き締めるため器の水漏れがなくなった)を復元します。大王のシンボルの環頭大刀や冠を復元することによって、製鉄、鍛造、めっき、木工、漆の技術等を検証します。和紙の分野では、古代の紙を復元する予定です。文献を調べていくと、古代では織りと和紙の技術はルーツが同じで、どうも衣料の材料として使われていた楮の皮の繊維=木綿(ゆう)を製作する過程で、この繊維が紙にもなるという事を発見したらしいのです。私たちは、この古代紙のルーツである木綿をまず復元し、後に正倉院の文書にも載っている穀紙、麻紙、斐紙を漉いてみようと思います。楮で漉いた穀紙は奉書の原点、雁皮で漉いた斐紙は鳥の子の原点です。麻紙は、大正15年に岩野平三郎が復元していますが、是非とも、正倉院文書より古いものを作ってみたい。ワークショップや展示会も勿論やります。
(後略)

発行人:福井県和紙工業協同組合 山田益弘
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