「岡田でございます。私は学識経験者というわけではなく,たんに趣味のそのまた趣味で和紙に関心を深めてきた者であります。
私は,もともと洋紙つまり新聞紙の再生について仕事で取り組んでいました。そこから派生して,歴史が好きな事から和紙の再利用について関心をもった次第です。
(※当日,配布されたトークにかんするレジュメについての説明の後・・・)
かつての日本には,和紙をめぐる生活文化がありました。また和紙を再利用することで和紙文化の一翼を担っていたというのが,私の考えであります。
紙の機能には「書く」「包む」「補強する」「装う」・・・先ほど生けていただいたお花の場合は「装う」に近いものですが,それと「再生する」,最後に使えなくなったものは「燃やしてエネルギー源にする」。しかも残った灰は「栄養源」になる。そういった具合に,環境的にも非常にうまくリサイクルされていたというのが,ひとつの和紙文化をうまく形成していたと言えます。
(中略)
紙を再利用するということで,「書く」という機能がございます。ここに示しましたのは(プロジェクターに写った史料),正倉院文書でございまして,下総国葛飾郡大島郷籍の,表面は戸籍であり,裏側には,正倉院で「いくらいくらの紙をくださいと請求した」や「何何にいくら使った」といった事務的な事が書いてあります。こういった紙を紙背文書といいます。
表側の戸籍については,6年に1回書き換えますので,それが不要になったら,20年あるいは30年そのまま置いておきまして,その後,裏側を再利用したわけです。再利用には,こういった「書く」という機能がございます。
次に(プロジェクターに写った史料).これは葛飾北斎の有名な「富嶽三十六景」のなかの一枚です。これが使われたかどうかは知りませんが,江戸の末期に,フランスに陶器を輸出するとき,当時は浮世絵の人気がなかったのでしょうか,浮世絵が印刷された紙で包んでフランスに送ったわけです。それに見たフランス人のブラックモンという方が,それを見て浮世絵に注目し,当時の画家に見せました。これによってフランスの印象派を興隆させたわけです。日本人が印象派を好むのもアイデンティティの一部ではないかなと勝手に思うところです(笑)。そのような「包む」という機能があるわけです。
(※スライドを見ながら)これはみなさんもご存知の正倉院の鳥毛立女屏風です。なぜこれを紹介したかと申しますと,この裏側,いわゆる襖の下張りに,要らなくなった文書などが補強用として使われていました。こういう例がたくさんございます。
(※中略/「補強」の目的に使われた「すさ」に藁だけでなく和紙が再利用されていたことの紹介。)
これは絵が少し汚くて申し訳ありませんが,もともとは京都の建仁寺に,織田信長の弟・織田有楽斎の茶室が,今は(愛知県)犬山の有楽苑(うらくえん)に移っていますが,「故紙」が全て「古紙」でできています。
次は「装う」という機能です。和紙で一番特殊的なのは「漉き返す」ということです。紙を,もう一度,元に戻して漉き返す。これは,綸旨紙(りんじし)といいまして,これは天皇が司書団に書かせるものです。ふつう,墨が残っていますので,色合いが少し黒くなります。
そして,これは横浜の金沢文庫にあります金沢貞顕の円覚経です。個人のゆかりの手紙等,漉き返し,それにお経を書いて供養したものです。こういったものが平安のはじめ頃,清和天皇の女御だった多美子という人がやっていたということが記録として残っています。漉き返し経ともいわれています。
(中略)
そして,もう一つは,漆紙文書といいます。漆を容器に入れておきまして,これが使わなくなったら,これに蓋をするとき古い文書を使います。そして,次に改めて使うときに捨てるわけですが,ところが,漆は非常に強く,土の中に入れても腐りません。そのため,こういう文書が残ります。そのなかに字がいっぱい書いてありますので,赤外線を当てますと字が浮かんできます。ちなみに,典型的な例としましては,茨城県石岡市の鹿の子遺跡から出たものです。表面一面に最初は戸籍,裏に暦。それから余ったところに習書をビッシリと書きます。それから漆紙にします。
最後に「和紙と現代生活」ということでを紹介したいと思います。何年か前にパークスコレクションというものがありまして,「海を渡った江戸の和紙」ということで,江戸時代の末にハリー・パークスが当時の紙および紙製品をいっぱい集めまして,イギリス本国に送りました。この方は外交官です。外交官とは言い方が悪いかもしれませんが,スパイ的な仕事をしていたところもあります。これを見ますと,今は見る事のない和紙,現在,多少はそれらしいものが残っているもの。現代でも活躍しているもの。新しくできたけれどもなくなったもの。たとえば謄写版用紙がこれに入ると思います。
(中略)
以上でございます。」