代表的なものに「杉原紙」や「越前奉書」があります。

貴族の没落によって、官営製紙場の頂点にたっていた紙屋院は強力な支援を失い、大都会の民間の一製紙場としての道をたどります。

今まで地方から送られてきた、精選された楮原料は高くつくものになったでしょうから、大都会に吐きだされる大量の反故(ほご)紙を再生する宿紙(しゅくし/漉き返し紙)を中心に漉くようになりました。かつて手間をおしまず、技巧をきわめた紙屋紙は、灰色の腰のぬけた、光沢のない安物の紙のイメージとなってしまいました。

いっぽう地方では荘園の中で、紙鹿きは次第に専門技術者として農民から分かれ、風土色の強い紙を発展させていきました。優れた評判を得た紙は、六斎市など月に六回も開かれるようになった紙市に登場し、街道をひんぱんに往来する商人によって中央に運ばれていきました。

そうした地方紙で代表的なものが杉原紙です。当時、武士や僧侶の間では格式の高い贈り物として、紙と扇子を1セツトにした一束一本(紙十帖に扇子一本)が、祝儀や公的な訪問などに使われました。

この紙には、はじめ檀紙や引合(檀紙に似てやや小さい)などが用いられましたが、次第に杉原紙が圧倒的に多くなります。播磨の椙原荘からおこった杉原紙は特に武士に好まれ、女性は檀紙や引合に書き、武士は杉原以外に書くものではないとされたこともあったほどです。おそらく溜め漉きの古風な趣きを残している檀紙より、勢いのよい流し漉きで繊維の方向がぞろい、紙の地合が冴えている杉原紙の方が新鮮で、武士の趣昧に沿ったものだったのでしょう。

そのほか地方塵紙には、雁皮の間似合紙や鳥の子のように、襖紙や料紙という用途に適するよう工夫を重ねた紙、ごく薄くて柔らかい棲紙の吉野紙(やわら紙)や典具帖紙のように、書くという目的からはずれ、油や漆の濾し紙や酒拭きや懐中紙などという特殊な用途をはじめから意図して漉いた紙など、新しいタイプが生まれてきました。和紙の用途が広がり、各用途にそった紙を専門に漉く産地が生まれてきたことを物語っています。この時代に和紙の世界をかたちづくる、個性の強い主要な紙は出そろったともいえましょう。

杉原紙のほかに代表的な紙となったのは、越前からはじまった奉書紙です。奉書という将軍の命令方式から生まれた、最高級の公文書用紙ですが、以後、江戸時代に入っても代表的な位置をしめます。地方の一産地名から文書の形式による紙名へと移りかわるところに、次第に秩序づけられ、規格化される社会相が感じられます。
 

※参考文献『和紙の手帖』(全和連発行)p74-75

TOP 全国産地マップ 和紙と和紙の製品をさがす 産地の情報とインフォメーション 和紙について知りたい 全国手すき和紙連合会の出版物 全国手すき和紙連合会とは