下野の紙の起源は、一説によると飛鳥時代後半に帰化人により伝えられたとされています。宝亀5年(774)に正倉院に奉納された写経料紙1万5千張のうちの
4千張が下野産であるという記録もあります。鎌倉時代には那須奉書が漉き出され、全国に那須紙として知られるようになりました。
烏山和紙を代表する程村紙(ほどむらし)が、明治34年に西ノ内紙と共に選挙用紙に指定されたのを受け、38年に栃木県茨城県製紙改良組合が組織されました。当時の記録によると、組合員
934、販売業者28、原料商25、原料生産高94,244貫、組合としての売り上げ205,050円となっています。 |
烏山和紙が1200年前から伝承されてきたのは、那須の連邦から下る那珂川の清流に恵まれた、自然のたまものです。
烏山の代表的な程村紙は国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に指定されています。その特徴は「紙肌の緻密なこと、漂白していないこと、コウゾ以外の不純物が入っていないこと、特有の雅美を有すること、西ノ内紙より厚手であること」などがあげられますが、最大の特徴はナスコウゾを使うことで、折り目の切れにくさは有名です。 |