06.05.12up

「季刊・和紙だより 2006春号」発行
福井県和紙工業協同組合から、「季刊・和紙iだより 2006春」号がとどきました。一部をご紹介します。


今号の内容

■越前和紙への提言
佐藤敬二さん
「目利きの客を育てる努力を」
■取り組み紹介
(財)奥越地域地場産業振興センター
■漉き場探訪
五十嵐康三さん・美佐子さん
■イベント情報
■越前和紙への提言 佐藤敬二さん(伝統工芸プロデューサー))
京都市産業技術研究所・工業センター研究部長。
永年、京漆器、京銘竹、竹工芸、京指物、京焼・清水焼、金属工芸等の京都の伝統産業の振興・育成に携わり、素材開発・技術開発・製品開発等を行なってきた。近年、琳派の工芸運動の歴史(特に神坂雪佳や浅井忠)を通して、現代の伝統工芸、伝統産業のあり方をデザインの視点から捉え直す作業を行なっている。
「目利きの客層を育てる努力を」
●この指止まれ方式
今までの伝統産業の振興事業は、主に行政の施策として共同組合単位で行なってきた例が多く、製品開発をしても報告書はできるのですが、成果物とそれに伴うリスクをどこがどのように引き受けるのかの分配のコーディネートがうまくできなかったのではないでしょうか。試作品は試作品としてお蔵に入ってしまい、展示会があると持ち出して目赤・手垢などが付き、結局商品としてではなく見本としてしか扱われていないというのがよくある現状です。最近京都では「この指止まれ方式」で、やる気のある有志だけが集まって商品化を強く意識したグループができています。「京ものブランド商品開発事業―Made in Kyoto」といいますが、先日もステーショナリーをテーマにして開発した竹、木工、金属、漆製品などの展覧会を四条京町家で開催しました。新素材の例を挙げますと、MR漆という三本ロールミル精製漆をセンターで開発しました。神社仏閣などの修復用で紫外線に強い漆です。漆は乾燥に温度と湿度の管理が難しい素材で、今まで修復には梅雨の時期にビニールシートで囲って行なっていたのですが、MR漆は常温常湿で乾き四季を問わず修復ができる上、ムロが不要なので、量産化を目指した製品に最適です。用途開発はデザインに頼るところが多いと思いますが、伝統産業も素材や技術開発を意識しなくてはならなくなってきています。
MR漆が塗られた
カラフルな犬矢来

●伝統産業が捨象しもの
伝統産業の中で今、何を大切にしなくてはならないかということを考えるときに、ひとつには、特に戦後の生活の洋風化という流れの中で「和」の存在意義をどう考えるかということがあると思うのです。戦後、産業工芸指導所の招聘で世界の著名デザイナーである、ブルーノダウト、シャルロットペリアンなどが日本に来て、桂離宮に代表されるような簡素美を賞賛し、近代的な和風モダンのデザインを提唱しました。この流れは、世界的にもバウハウスやインターナショナル建築運動を根源とする、装飾を排除したモダンデザインの文脈に則っており、生活の洋風化と工業製品が生活の中に入ってきた時代の潮流にある意味で合致していたと思います。結果として、伝統工芸の中にもシンプルモダン、もしくは素材感を活かすブレーンなデザインのものが作られるようになり、私は「装飾のないツルツル、スベスベのデザイン」と呼んでいるのですが、そういうものが何か新しい伝統工芸のデザインとして流布するようになってきたのです。しかし、この現象は大量生産・大量消費を前提とし、安価な製品を主に大衆に向けて生産されたものですから、伝統工芸が持っている背後の装飾の文化性を捨象しすぎたきらいがあると思っています。
この意味で、現代日本の伝統産業を考えるときに避けては通れない琳派に興味があるのです。例えば光琳の住江蒔絵硯箱という作品がありますが、箱には「住之江の岸による波よるさえや夢の通いぢ人目よく覧」という和歌が読み込んである。それで意匠が岸と波になっているわけです。工芸には公家好み、武家好みなどいろいろありますが、要はこれらの知性あふれる文化性を持っていることが伝統工芸であるのに、それを捨て、のっぺらとした含みのない意匠に流され、いい方は悪いですが低きに流れてしまったところがあるのではないでしょうか。越前の和紙も技法や模様の意匠など文化に値するものが沢山あるはずです。

当研究所にて開発された
竹の集成材家具
●目利きの客層を育てる
分衆の時代といわれて久しいですが、大量消費型ではない伝統産業の有り様というものを模索しなくてはなりません。今までは大衆のニーズを掴めといっていわゆる川下型マーケティングがずっと求められてきましたが、文化を理解する目利きの知性ある客層を育てることが伝統産業の生き残る道でもあると思います。大衆を狙うか、目利きの客層を狙うかは兼ね合いが大変難しいと思いますが、川上の産地からも大いに情報発信をしないといけません。東京で売れるものを作りたいから東京のデザイナーを呼んでくればいいというのではなく、産地の文化はこうだから東京の人も理解しなさいという態度も時には必要です。
また、説得性のある文化的ストックを発信するには産地の技術や意匠に対する研究態度も必要です。都会でデザインなりマーケティングを学んで、産地にUターン、Jターンしてきた人が技術や文化をよく理解し、地元の基礎体力を高めながら腰を据えて取り組むというのが、一番うまくいくような気がします。伝統産業の振興はそうでなくては、無理なのです。私も三十年間に亘る企業支援の仕事において幾度か失敗してきていますから・・・(笑)
■漉き場探訪

作品を前にした
五十嵐康三さん・美佐子さん
■五十嵐康三さん・美佐子さん
(株)五十嵐製紙
五十嵐製紙は大正八年創業。昭和初期には箱張りに使う掛け紙、画仙紙などを製造。現在家族四名を含めて従業員数十六名の漉き場である。主力は生産高にして機械漉き(八割)、手漉き(二割)の襖紙。夫唱婦随の奥様、美佐子さんの手漉き大判和紙は「和紙で絵を描くがごとく」漉いた作品で近年評価が高く、施設や店舗用などに採用されている。五十嵐康三さんにお話を伺う。
●創作和紙の世界を開いた美佐子さん
家内がここに嫁いできたのが二十二才でしたが、和紙の里の漉き場に嫁いだからには、自分でも紙が漉けなければ従業員とも接することができないと思い、紙漉を勉強し始めたのです。最初は何十年のベテランの職人さんにいろいろ聞きながら見様見真似で一から始めましたから、随分苦労したと思いますよ。紙漉を覚えた後、元々絵を描くのが好きだったものですから、次第に襖紙のサンプル作りに取り組むようになりました。当時の襖紙は毎年毎年見本帳に載せる柄を変えていましたが、サンプルデザインを作り、それを元に型屋さんに型を制作してもらい、その型に色を流し込んで模様を付けるというのが主流でした。その見本帳に載せるサンプルデザインを家内がずっとやっていました。その時の経験は今の創作和紙に繋がっていると思います。襖の柄は平成ニ、三年頃から変わってきました。はっきりしたパターンのある柄より、漉く時に着く水の流れなどを模様に活かした自然な感じのものが好まれるようになってきたのです。
(中略)
●施設用和紙の特注が広がる
大きな紙を漉くために老朽化したひとつの工場を建て替えましたが、当時は大変な投資だと思ったこの事が、いい方向に向かわせてくれたと思っています。というのは、既存の注文は従来の工場で制作できますし、立て替えた方の工場で日常の仕事の流れを止めることなしに、特注品や(時間があるときは)実験的な試作品などを作ることができるからです。ガラスを和紙とを合わせた扉、テーブル、壁部材の製品もこのような条件があって開発できました。和紙というと和風の住宅に使用するものと思われますが、この製品ですと洋風住宅にも使え、耐久性があるので施設や店舗にも使用できます。和紙を樹脂でがん浸させますので風合いは和紙が少し濡れたような感じになります。ある店舗デザイナーの方が気に入ってくださって、居酒屋さんなどの壁面、照明などは最近お任せで依頼されるようになりました。先日もある建築家の方が、自分の設計する家に今までは市販の和紙を使っていたが、何とか自分のイメージするような和紙を使いたいということで相談に来られました。
又、うちの特長は、家内が制作する手漉き創作和紙にもあります。この分野は最近注文が増えています。施設の入口や壁のアクセントに「和紙の絵画」と言えばよいのでしょうか、それを置きたいというところからの特別注文です。首相官邸の壁、外務省のサインボード、宇治の平等院宝物館、京都迎賓館、東京駅のトイレ、公共施設などに採用されました。このような施設・建築物用は大きな紙が漉けないといけません。5200×2800cmまでならできます。最近は、中国からも注文があり輸出しています。あちらは今、ホテルブームでメインエントランスにうちの和紙作品を置きたいと言ってきたのです。但し、出来たものをきちんと梱包して先方に送るのには、かなり送料もかかりますが・・・。



埼玉県のホテル内
レストランの和紙光壁

発行人:福井県和紙工業協同組合 長田昌久
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