■越前和紙への提言 佐藤敬二さん(伝統工芸プロデューサー)) |
|
京都市産業技術研究所・工業センター研究部長。
永年、京漆器、京銘竹、竹工芸、京指物、京焼・清水焼、金属工芸等の京都の伝統産業の振興・育成に携わり、素材開発・技術開発・製品開発等を行なってきた。近年、琳派の工芸運動の歴史(特に神坂雪佳や浅井忠)を通して、現代の伝統工芸、伝統産業のあり方をデザインの視点から捉え直す作業を行なっている。 |
「目利きの客層を育てる努力を」
●この指止まれ方式
今までの伝統産業の振興事業は、主に行政の施策として共同組合単位で行なってきた例が多く、製品開発をしても報告書はできるのですが、成果物とそれに伴うリスクをどこがどのように引き受けるのかの分配のコーディネートがうまくできなかったのではないでしょうか。試作品は試作品としてお蔵に入ってしまい、展示会があると持ち出して目赤・手垢などが付き、結局商品としてではなく見本としてしか扱われていないというのがよくある現状です。最近京都では「この指止まれ方式」で、やる気のある有志だけが集まって商品化を強く意識したグループができています。「京ものブランド商品開発事業―Made
in Kyoto」といいますが、先日もステーショナリーをテーマにして開発した竹、木工、金属、漆製品などの展覧会を四条京町家で開催しました。新素材の例を挙げますと、MR漆という三本ロールミル精製漆をセンターで開発しました。神社仏閣などの修復用で紫外線に強い漆です。漆は乾燥に温度と湿度の管理が難しい素材で、今まで修復には梅雨の時期にビニールシートで囲って行なっていたのですが、MR漆は常温常湿で乾き四季を問わず修復ができる上、ムロが不要なので、量産化を目指した製品に最適です。用途開発はデザインに頼るところが多いと思いますが、伝統産業も素材や技術開発を意識しなくてはならなくなってきています。 |
MR漆が塗られた
カラフルな犬矢来 |
|
●伝統産業が捨象しもの
伝統産業の中で今、何を大切にしなくてはならないかということを考えるときに、ひとつには、特に戦後の生活の洋風化という流れの中で「和」の存在意義をどう考えるかということがあると思うのです。戦後、産業工芸指導所の招聘で世界の著名デザイナーである、ブルーノダウト、シャルロットペリアンなどが日本に来て、桂離宮に代表されるような簡素美を賞賛し、近代的な和風モダンのデザインを提唱しました。この流れは、世界的にもバウハウスやインターナショナル建築運動を根源とする、装飾を排除したモダンデザインの文脈に則っており、生活の洋風化と工業製品が生活の中に入ってきた時代の潮流にある意味で合致していたと思います。結果として、伝統工芸の中にもシンプルモダン、もしくは素材感を活かすブレーンなデザインのものが作られるようになり、私は「装飾のないツルツル、スベスベのデザイン」と呼んでいるのですが、そういうものが何か新しい伝統工芸のデザインとして流布するようになってきたのです。しかし、この現象は大量生産・大量消費を前提とし、安価な製品を主に大衆に向けて生産されたものですから、伝統工芸が持っている背後の装飾の文化性を捨象しすぎたきらいがあると思っています。
この意味で、現代日本の伝統産業を考えるときに避けては通れない琳派に興味があるのです。例えば光琳の住江蒔絵硯箱という作品がありますが、箱には「住之江の岸による波よるさえや夢の通いぢ人目よく覧」という和歌が読み込んである。それで意匠が岸と波になっているわけです。工芸には公家好み、武家好みなどいろいろありますが、要はこれらの知性あふれる文化性を持っていることが伝統工芸であるのに、それを捨て、のっぺらとした含みのない意匠に流され、いい方は悪いですが低きに流れてしまったところがあるのではないでしょうか。越前の和紙も技法や模様の意匠など文化に値するものが沢山あるはずです。 |
当研究所にて開発された
竹の集成材家具 |
●目利きの客層を育てる
分衆の時代といわれて久しいですが、大量消費型ではない伝統産業の有り様というものを模索しなくてはなりません。今までは大衆のニーズを掴めといっていわゆる川下型マーケティングがずっと求められてきましたが、文化を理解する目利きの知性ある客層を育てることが伝統産業の生き残る道でもあると思います。大衆を狙うか、目利きの客層を狙うかは兼ね合いが大変難しいと思いますが、川上の産地からも大いに情報発信をしないといけません。東京で売れるものを作りたいから東京のデザイナーを呼んでくればいいというのではなく、産地の文化はこうだから東京の人も理解しなさいという態度も時には必要です。 |
また、説得性のある文化的ストックを発信するには産地の技術や意匠に対する研究態度も必要です。都会でデザインなりマーケティングを学んで、産地にUターン、Jターンしてきた人が技術や文化をよく理解し、地元の基礎体力を高めながら腰を据えて取り組むというのが、一番うまくいくような気がします。伝統産業の振興はそうでなくては、無理なのです。私も三十年間に亘る企業支援の仕事において幾度か失敗してきていますから・・・(笑) |