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古代白山信仰の一環をなす医王山麓の紙郷は、養老年間(717〜724)僧泰澄が医王山に寺坊を建立し、この時代に紙漉きが始められたと伝えられています。また、平安時代の『延喜式』には紙を納める
42ヵ国の一つに加賀の国の名前が出てきます。そして、文禄年間(1592〜1596)金沢二俣が献上紙漉き場として、加賀藩の庇護を受けることになりました。加州大奉書を始め、加州大杉原、加州高檀紙(たかだんし)が漉かれ、広く天下にその名を知られました。 石川県には現在7戸が紙漉きを継いでおり、2戸に後継者があります。現在漉かれている加賀和紙は、外国産の原料使用は10%ほどで、各漉き場では自家採取と国内の原料で生産しています。 紙を漉いている7戸のうち4戸は、全国の90%のシェアを持つ金沢の金箔のための箔打紙(はくうちがみ)をつくっています。 |