白石地方では平安期には陸奥紙(みちのくがみ)を産していました。白石紙は伊達正宗の殖産奨励の保護のもと、急速に発展して一大産地になりました。その臣、片倉小十郎の領内の百姓の冬期内職で
300軒の紙漉き家がありました。
明治になって保護がなくなり、次第に減少し、大正時代には20軒、昭和初期10軒、現在1軒が残っています。昭和20年頃から、川合玉堂画伯も白石紙を愛用して、特に「蔵王紙(ざおうがみ)」と命名されました。
白石地方に古くからトラフコウゾと呼ばれているカジノキの雌株があり、根分けして育苗、畑地に栽培しています。トラフコウゾで漉いた紙は、柔らかく強靭なので、紙衣(かみこ)、紙布織(しふおり)に加工するのに最適です。生産の
70%が注文、30%は自家加工に使用しています。市内に紙衣拓紙の加工専業者が2軒あって、袋物・小物などに加工しています。 |
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