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柳生の和紙づくりは、およそ400年前に、仙台藩主伊達正宗が福島県伊達郡茂庭村から4人の紙漉き職人を呼び、和紙づくりの指導に当たらせたことから始まりました。この土地は、きれいな地下水が豊かで、高館山のふもとにあるため乾きやすく、紙漉きには都合がよかったのです。
柳生和紙の最盛期は明治後半から大正にかけての時期で、「柳生に行くと太白(白砂糖)を食わせられる」と言って、近くの若者たちは争って手伝いに来たそうです。しかし、大正
11年に、長町に紙を大量につくる工場ができ、手数のかかる柳生和紙はたちうちできなくなり、昭和35年には10戸となり、主に障子紙をつくっていました。
現在、仙台市は1軒だけとなり、菓子の包装紙、松川だるまの張子紙、書道紙、卒業証書などを漉き、伝統を守り続けています。 |
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